任天堂の統合開発本部アドバイザーの上村雅之氏のインタビュー記事が掲載されています。
上村雅之氏は、任天堂で「ファミリーコンピュータ」、「ディスクシステム」、「スーパーファミコン」などの設計を担当した「ファミコンの生みの親」として知られている人です。
インタビューでは、「ファミコンカラー」とも言われる、本体の「赤」(えんじ)と「白」のカラーリングについて、
ファミコンのえんじ色パーツは、その素材が大量かつ安価で仕入れることができたから採用されたという噂ですが?
・・・という質問が行われていて、
上村雅之氏は、
それは間違いですね(笑)。むしろ逆で、最初に予定していた安いスチール製のボディがあまりにも脆かったので、強度の高いプラスチックに変更したくらいですから。えんじ色にした理由は、単純に社長命令だったんですよ。社長がよく巻いていたマフラーの色もあんな感じのえんじ色で、好きな色だからという理由。社長からするとボディのデザイン面は口が出しやすいわけですよ。それが真実です(笑)
・・・という回答をしています。
よって、これまでWikipediaにも堂々と書かれていた「ファミコンの色は、当時最も安価な部材の色が赤と白だったから」という話はガセネタだったということになります。
インタビューでは、「ファミリーコンピュータ」という名前の由来も明らかにされていて、上村雅之氏は、
それは私が名づけました。うちの会社では営業とかではなく、開発者に命名権があったんです。その頃はちょうどパーソナルコンピュータやホームコンピュータという言葉がわーっと広がっていた時期だったんですが、『ファミリー』はまだ使われてないなとふと思いまして。コタツにでも入りながら家族でワイワイ遊ぶ姿をイメージしてましたから、『ファミリーコンピュータ』、いいじゃないか
・・・ということを明らかにしています。
なお、インタビューでは、他には、ファミコンを作り始めたときは、任天堂は「ゲーム&ウオッチ」が売れに売れていた時期で、「ゲーム&ウオッチ」の部署に人材をどんどん引き抜かれていて、ファミコンの開発チームは3人しかおらず、勝算などなく、愚痴のような悲観的なことばかりメモに書いていたということなどもコメントされています。
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コメント
これは最初にだれが言い出したんだろうね
ずっと信じてたわ…
開発少人数だなw
この話はなかなか面白かった
この色とデザインは当時どんな印象だったんだろう?