任天堂の岩田社長の「社長」としての活躍は、皆のよく知るところですが、「社長」前の「岩田聡」が作ったゲームを少し振り返ってみましょう。
岩田社長は、元はHAL研究所の社員でしたが、任天堂がファミコンで発売した「ゴルフ」は、岩田社長の発明が取り入れられたもので、その天才性を知ることが出来ます。
「ゴルフ」は、ゴルフゲームと言えば今でも、スイングを始めて、強さを決め、ボールを打つという、ボタンを3回押してプレイするスタイルが主流ですが、これを生み出したのが岩田社長で、現在のゴルフゲームの基礎を作ったと言っていいものです。
また、「バルーンファイト」では、ファミコンに収録されている横スクロールでゲームが進んでいく「バルーントリップ」のモードを、開発の終盤に3日間で作り上げた伝説を残しています。
その仕事の速さ、伝説のプログラマーっぷりは、「MOTHER2」の開発が一番有名であり、プログラム的な問題で開発が頓挫しかかっていた「MOTHER2」を、「今あるものを活かしながら、手直ししていく方法だと開発に2年かかるものの、1から作り直していいのであれば、半年でやります」と話し、調整に別途半年かかりましたが、実際に約半年で「MOTHER2」を作り直した実績があります。
そして、桜井政博氏のイメージが強い「スマブラ」ですが、そのプロトタイプは「格闘ゲーム竜王」というものであり、これは、桜井政博氏と岩田社長が2人で作ったもので、これが後のスマブラになります。
さらに、岩田社長は、初代の「ドラゴンクエスト」が海外で、任天堂から「Dragon Warrior」として発売されるときに、ローカライズを担当しており、2週間ほど会社に行かずに家にこもってローカライズの基礎部分を作っていたこともあり、ドラクエを海外に送り出した1人としても活躍しています。
よって、ここにごく簡単に書いたものだけでも、「岩田聡」が残したゲームは非常に大きなものが多く、岩田社長は、HAL研究所の社員や社長、任天堂の役員、そして任天堂の社長として、ファミコン初期から現在に至るまで数々のゲームに関わっており、岩田聡としても岩田社長としてもゲーム業界に大きく名を刻んでいます。
ほぼ日刊イトイ新聞 岩田聡さんのコンテンツ
コメント
約半年って1年近くかかってるんだけど
では、「調整に別途半年かかりましたが」を追加しておきました。
本当にすごい人だよな~!社長業でもかなりの活躍でネット記事見てもいろんな人に愛された凄い人だったけど、プログラマとして開発者としてだけでもこれ以外にも逸話が残る正に天才だったんだなと改めて凄さを感じる。よく宮本さんの話をしていたけど全然負けてないレジェンドの1人だね
ダイレクトとかの存在もあるけど、実際にやるゲームの具体的な部分に関わってたからか
社長という立場なのに妙に身近に感じられる人でしたね・・・
悲しくてしゃーない
つまりはゲームの土台的な部分を作ったことがある社長だったってことか
直接会ったり話したことはなくても今の子ども達は大半DS、3DSやWii、WiiUを持ってることだろうし
そういう意味でも物凄く貢献してるしやっぱすごいんだな
改めてご冥福お祈り致します
社長の作ったゲーム、どれも斬新で面白くて楽しかったです!
その凄さを、人前で微塵も感じさせない人柄が、また偉大さを感じます。
「頭の中はプログラマー、心はゲーマー」って社長、なかなかいないと思いますよ。
ずっと開発者のままだったら今でもすごいゲームを作ってたんじゃないかと思う。
ご冥福をお祈りします。
そして任天堂が今以上に活躍できるように見守っていて欲しいです。
すごいゲーム以上に大きな仕事をして功績残してるしな
ただ数十年後の社長引退後に自由な立場で作るゲームは見たかった
株式会社ポケモンも岩田社長が居なかったら出来てないので、もしも居なかったらポケモンは版権が複雑化した結果空中分解して今は存続してなかった可能性まであるからなぁ
メタルスレイダーグローリーの驚異的プログラムも岩田社長中心のプログラムチームだったんだよな
それだけでなく任天堂のコアゲーは社長と山上氏がいたからこそやで